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調合を試した結果、納得できるぶどう酒ができたが

調合を試した結果、納得できるぶどう酒ができたが、さて、どうやって売り出すべきか。

いろいろ考えるうち、ギルビー社の洋酒ラベルの片隅に、赤い丸があるのを見つけてひらめいた。

赤い丸は日本の国旗に通じる。

それに赤はぶどう酒の色、命の源、太陽の色だ。

よし、赤玉でいこう!

一九〇七年(明治四〇年)、信治郎は、このぶどう酒を「赤玉ポートワイン」という名前で売り出した。

その前から売っていたぶどう酒の名前が「向獅子印甘味葡萄酒」である。

赤玉ポートワインという名前は、当時としては画期的なネーミングだった。
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鳥井信治郎

鳥井信治郎は一八七九年(明治一二年)、大阪に生まれた。

父は両替商といって今の銀行のような業務を行っていた。

やがて米屋へと転業するが、米屋は長男の喜蔵が受け継いだ。

信治郎は、ウイスキーなども扱っていた薬種問屋小西儀助商店へ三年間、その後、絵具・染料を扱う小西勘之助商店へ奉公に出た。

一入九九年(明治三二年)、信治郎は鳥井商店を開業、一九〇二年(明治三五年)に寿屋洋酒店と名を改めた。

主に中国人を相手にぶどう酒を製造販売していたが、日本人に合ったぶどう酒をつくりたいと考えていた。

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