森永製菓に片岡敏郎というコピーライターがいた。
片岡は一八八二年(明治一五年)、静岡生まれで、泉鏡花の門下生として作家を目指した時期もあった。
電通に勤めた後、森永でその才能を発揮。
特に有名だったのは、大相撲の横綱、太刀山の手形に「天下無双森永ミルクキャラメル」という白ヌキ文字でつくった新聞広告だ。
片岡は広告の天才とまでいわれていた。
その片岡を信治郎は月給三〇〇円という破格の給料で、寿屋の宣伝部長として招き入れた。
当時大卒の初任給は三〇円。
二〇〇八年の大卒初任給が約二〇万円だから、現代でいうと月給二〇〇万円ということになる。
よほど片岡の才能を買っていたのだろう。
信治郎は、それだけ広告に力を入れていたのだ。
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