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    <title>日本の広告の歴史</title>
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    <link>https://otsukitsutomu.blog.shinobi.jp/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>新しい広告</title>
      <description>&lt;div&gt;
	取引マーケティングがすべて関係性マーケティングという形になるのかと言えば、必ずしも明確に主張しているわけではないが、例えばD・B・ジョーンズは「コミュニケーション・リレーションシップ・モデル」という名称で、従来展開されてきたトランザクション・マーケティングと新たに提唱されたリレーションシップ・マーケティングを統合し展開していくというニュアンスの指摘を行っている。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;
	&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;
	マーケティング・コミュニケーションそれ自体としての広告の機能も認め、しかし必ずしも利益あるいは売上高の確保という形だけではない展開というところで、コミュニケーション関係モデルに基づく&amp;lt;a href=&amp;quot;http://www.comix.co.jp/&amp;quot;&amp;gt;新しい広告&amp;lt;/a&amp;gt;ということなのである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;
	&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
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    <item>
      <title>一九二〇年(大正九年)に掲載された新聞広告も</title>
      <description>一九二〇年(大正九年)に掲載された新聞広告も、片岡らしい作品だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新聞の記事をバックにあしらい、その上に手描きで「赤玉ポートワイン」という文字と赤い丸をのせたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
意表をついたインパクトのある広告だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片岡は、チーフデザイナーの井上木宮とともに寿屋の広告を担う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
井上に好きなように多くの絵を描かせ、気にいった絵にコピーを入れてレイアウトした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
常識にとらわれない、独創的で自由な発想が片岡の持ち味だった。&lt;br /&gt;
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      <title>森永製菓に片岡敏郎というコピーライターがいた</title>
      <description>森永製菓に片岡敏郎というコピーライターがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片岡は一八八二年(明治一五年)、静岡生まれで、泉鏡花の門下生として作家を目指した時期もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
電通に勤めた後、森永でその才能を発揮。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に有名だったのは、大相撲の横綱、太刀山の手形に「天下無双森永ミルクキャラメル」という白ヌキ文字でつくった新聞広告だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片岡は広告の天才とまでいわれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その片岡を信治郎は月給三〇〇円という破格の給料で、寿屋の宣伝部長として招き入れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時大卒の初任給は三〇円。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二〇〇八年の大卒初任給が約二〇万円だから、現代でいうと月給二〇〇万円ということになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よほど片岡の才能を買っていたのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信治郎は、それだけ広告に力を入れていたのだ。</description> 
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      <title>いかに売るか</title>
      <description>いかに売るか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう考えるうちに、信治郎の広告手法は磨かれていったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤玉ポートワインは、看板商品として長い間寿屋を支えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、今も赤玉スイートワインの名で売られているロングセラー商品である。&lt;br /&gt;
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    <item>
      <title>歯信治郎は宣伝の方法もうまい</title>
      <description>歯信治郎は宣伝の方法もうまい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時ぶどう酒は薬用酒として売っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全国の医学博士や薬学博士などから有効証明書をもらい、新聞広告を出したのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コピーはこうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「滋養になる　一番よき　天然甘味　薬用葡萄酒　赤玉ポートワイン」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時に赤玉ポートワインと書かれた行灯を背負って、赤玉ポートワインのハッピを着た青年が街を練り歩く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
年末には、赤玉なら組赤い目の白鳩がついた稲穂かんざしをつくり、祈祷してもらう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを芸者に配り、正月の座敷に出てもらえば話題となる。&lt;br /&gt;
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      <title>調合を試した結果、納得できるぶどう酒ができたが</title>
      <description>調合を試した結果、納得できるぶどう酒ができたが、さて、どうやって売り出すべきか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いろいろ考えるうち、ギルビー社の洋酒ラベルの片隅に、赤い丸があるのを見つけてひらめいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤い丸は日本の国旗に通じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それに赤はぶどう酒の色、命の源、太陽の色だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よし、赤玉でいこう!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一九〇七年(明治四〇年)、信治郎は、このぶどう酒を「赤玉ポートワイン」という名前で売り出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その前から売っていたぶどう酒の名前が「向獅子印甘味葡萄酒」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
赤玉ポートワインという名前は、当時としては画期的なネーミングだった。&lt;br /&gt;
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      <title>鳥井信治郎</title>
      <description>鳥井信治郎は一八七九年(明治一二年)、大阪に生まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父は両替商といって今の銀行のような業務を行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて米屋へと転業するが、米屋は長男の喜蔵が受け継いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信治郎は、ウイスキーなども扱っていた薬種問屋小西儀助商店へ三年間、その後、絵具・染料を扱う小西勘之助商店へ奉公に出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一入九九年(明治三二年)、信治郎は鳥井商店を開業、一九〇二年(明治三五年)に寿屋洋酒店と名を改めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
主に中国人を相手にぶどう酒を製造販売していたが、日本人に合ったぶどう酒をつくりたいと考えていた。</description> 
      <link>https://otsukitsutomu.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E9%B3%A5%E4%BA%95%E4%BF%A1%E6%B2%BB%E9%83%8E</link> 
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